今や私たちの生活に欠かせない喫茶店やカフェ。都心の駅前はもちろん、街を歩けば香ばしい豆の香りにあたるのは、現代の日本では当たり前の光景です。
しかし、日本人がコーヒーの味も知らない時代に、理想を掲げて産声を上げた一軒の店がありました。それが、日本初の本格的喫茶店といわれる「可否茶館(かひさかん)」です。
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4月13日は喫茶店の日
毎年4月13日は「喫茶店の日」とされています。これは明治21年(1888年)のこの日、東京・上野に可否茶館が開業したことに由来します。
「可否」という字を当てて「コーヒー」と読ませる粋なネーミング。諸説ありますが、当時は「かひちゃかん」や「かういちゃかん」などと呼ばれていました。一体、どんな店だったのでしょうか。
可否茶館は現代では考えられないような喫茶店

可否茶館が誕生したのは、まさに文明開化の真っ只中。明治16年に建設された「鹿鳴館」を中心に、上流階級が西洋文化を享受していた時代です。
しかし、創始者である鄭永慶(ていえいけい)が目指したのは、特権階級のための贅沢品ではありませんでした。
アメリカ留学で目にした、庶民が自由に議論し、知識を共有する「コーヒーハウス」の姿を日本に再現しようとしたのです。
彼は、華やかな欧化主義の裏で置き去りにされた「一般市民のための知的なサロン」を創るという、極めてモダンな理念を持っていました。
現代のコワーキングスペース?驚きの設備
可否茶館の凄さは、その多機能ぶりにあります。西洋風の2階建ての館内には、以下のような設備が揃っていました。
- 娯楽: ビリヤード、トランプ、碁、将棋
- 実用: 更衣室、化粧室、さらにはシャワー室
- 教養: 文房具(硯、筆、便箋)の完備、国内外の新聞・雑誌・書籍の閲覧
これらは単なるサービスではなく「ここに来れば、誰でも学び、交流できる」という、今で言うライブラリーカフェやコワーキングスペースのような役割を、130年以上前に先取りしていたのです。
可否茶館創始者の鄭永慶とは?
若くして数ヶ国語を操り、エール大学へ留学したエリートだった鄭永慶。しかし、病気による中退や火事での家財喪失など、その人生は波乱に満ちていました。
当初は「学校」を設立したかった彼が、資金難の末に選んだのが喫茶店という形でした。
教育への情熱を捨てきれなかったからこそ、可否茶館には「学び」の要素が強く反映されたのかもしれません。
早すぎた理想と、受け継がれたバトン
当時のコーヒー1杯の価格は一銭五厘。かけそばが八厘程度だった時代、庶民にはまだ高嶺の花でした。
理想を詰め込みすぎた設備投資も響き、店はわずか5年足らずで閉業してしまいます。
鄭永慶自身は借金を抱えてアメリカへ渡り、志半ばで客死するという悲劇的な最期を遂げますが、彼が撒いた種は確実に芽吹きました。
補足:北海道の可否茶館とは関係がない
札幌などにも、同じ「可否茶館」という喫茶店があります。名前は同じですが、全くの別物です。
北海道(特に札幌や小樽)で見かける「可否茶館(かひさかん)」は、昭和46年(1971年)に札幌で創業した老舗のコーヒーチェーンです。
紛らわしいのですが、その違いを整理すると以下のようになります。
1. 明治の「可否茶館」(今回取り上げたお店)

- 場所: 東京・上野
- 創業: 1888年(明治21年)
- 創始者: 鄭永慶
- 特徴: 日本で最初の本格的な喫茶店。わずか5年で閉業しており、現在の店舗とは直接の経営的なつながりはありません。
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2. 北海道の「可否茶館」

- 場所: 札幌・大通(1号店)
- 創業: 1971年(昭和46年)
- 運営: 株式会社可否茶館(現在はユニマットグループ傘下)
- 特徴: 札幌の自家焙煎コーヒーの先駆け。ショッピングセンターや駅ビルに入っていることも多く、北海道民にはお馴染みのブランドです。
名前が同じ理由は、北海道の「可否茶館」が、明治時代に鄭永慶が作った伝説の喫茶店にあやかって、その名前を屋号として現代に復活させたからです。
つまり、明治の「可否茶館」は歴史上のレジェンドであり、北海道の「可否茶館」はその精神をリスペクトして名付けられた現代の人気店、という関係性ですね。
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まとめ
「可否茶館」という挑戦がなければ、日本の喫茶店文化は全く違う形になっていたかもしれません。
一杯のコーヒーを片手に、本を読んだり友人と語り合ったりする。そんな私たちが当たり前のように享受している「自由な時間」の土台には、明治の一人の男が抱いた、あまりに早すぎた情熱があったのです。
